獅子座の心の強さと弱さ




獅子座の心の強さ

自分を信じる力

知性が高く客観的に自分を分析しすぎる人というのは、たとえどんなに能力が高くても、自分に対しての自信を感じにくいそうです。

獅子座の場合、知性が高くても主観的なほうなので、自分を外側から眺めて分析するほうではありません。

自分を肯定しようとする気持ちが強いこともあり、場合によっては(傍から見ると)根拠のない自信持っていることもよくあります。

獅子座のこの妙な自信が悪さをすることはありますが、自分を信じる力を持っているという意味では才能のひとつだといえるでしょう。

自分を信じる力だけは、他のだれも与えてはくれませんから自力で掻き立てるしかないのです。

そもそも自信というのは勘違いから生み出したものを本物に変えていった結果なのかもしれません。

大切なものは譲らない

人間関係においての頑固さというのはトラブルの原因になることがありますが、自分らしさを強く持ちつづけるためには必要なものかもしれません。

獅子座は人間関係に敏感で、人と関わることにはけっこうデリケート。

あまりそうは見えなくても、本人なりにかなりの譲歩をして人とお付き合いをしていることもありえます。

しかし、孤独を恐れるところがあるものの、大切に思っているものに対して誰かが干渉をしてきたならば、潔くその人間関係を清算してしまうことも辞しません。

獅子座が大切にしているものというのは、モノや人物であることもありますが、誠実さ、誇り、正義感、情熱などかもしれません。

大切なものを守り抜こうとする獅子座は、魂を売ってまで何かを手に入れようとはしないのです。

正直に生きる

他人に何と思われようと自分の意見を貫くためには、強い意志と自分を信じる力が必要になるでしょう。

獅子座は誠実であることをとても大切に考えますが、この社会においてはそういった気持ちを守り抜くのは簡単なことではないのかもしれません。

しかし獅子座は、自分の心に忠実に生きることを選びます。

正直さは獅子座の素晴らしい性質ですが、全くウソをつかずにいることはこの社会においては難しいこと。

にもかかわらず真っ直ぐであり続けようとするのは、心の強い人にしかできないことかもしれません。

場合によってはそれが毒舌になることもあるものの、獅子座の正直さというのは現代社会においては貴重なものなのかもしれません。



獅子座の心の弱さ

孤独を恐れる

元気で明るく友達が多い獅子座ですが、じつは心の奥には孤独を恐れる気持ちを持っています。

そのことが獅子座の意識に上ることは多くなく、その代わりに友達を沢山作ったり、いつも仲間と一緒にいたりして、あまり感じないようにしています。

獅子座にとって友達が多いということは心の安定につながっているといえるでしょう。

人付き合いが得意ではない獅子座の場合は、家族や恋人など特定の人と一緒にいたがります。

そんな人たちが自分を放置したり、一人ぼっちにされてしまうと孤独感がつのり、それが怒りに変わってしまうことすらありえます。

孤独を感じないためには手段を選ばす、好きでもない人と一緒にいることもあるかもしれません。

完全に孤独な生活を楽しむというのは獅子座には難しいことといえるでしょう。

負けることを恐れる

いつも自分が勝者でいたいと思う気持ちがあったなら、気楽に生きるのは難しくなるかもしれません。

獅子座はものごとに対して白黒つけたり、上下関係を区別したり、勝ち負けをつけたがるところがあります。

2つに分けて考えることで、相手と自分の立場がどのように違うのかをはっきり認識したいと思うからです。

判断基準が「自分」である獅子座は、2つの区分のうちの負け組に入ることを無意識のうちに恐れています。

獅子座はプライドが非常に高いため、負けた状態でいつづけることには耐えられないでしょう。

多くの場合、それは獅子座が勝手に感じていることで、周りはそんなことは考えていなかったりしますが、それでも獅子座にとっては同じこと。

自ら作り出した劣等感に耐えられず、人と関わることをやめてしまうこともありえます。

ダークサイド

明るく朗らかに人と接する獅子座ですから、他者からの評判は良いものになりやすいようです。

しかし、多くの獅子座は心の中に暗い部分を持っていて、一人になるとそのダークな部分が心に広がってしまうこともあるでしょう。

外では素晴らしい人格者なのに、家に帰ってくると暴君だったりなどもありえるかもしれません。

これらのことは、獅子座の心の奥にある不安や恐怖や弱さに由来するものです。

心の中から強くなることをあきらめてしまった獅子座は、それを見つめる勇気も持てないまま、自分を外界に押し出します。

そうなると外に見せている姿はただのハリボテにすぎません。

深く関わりさえしなければ、たとえハリボテでも人は気づかないものでしょう。

虚構の自分を作り出してしまった人は、自分自身も欺いてしまうのです。

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